講師紹介

 

秋田県 にかほ市出身

 後藤 紀保子 

  Kihoko Goto 

 

 

元ヤマハ音楽教室ピアノ講師 

指導歴 約20年。今まで約170人の生徒さんを指導。

現在にかほ市象潟町武道島にて Pace(パーチェ)ピアノ教室主催

各種ピアノ伴奏やBGM、ブライダルプレイヤー(主に挙式オルガニスト)を務める

脳トレピアノ🄬  Executive認定講師

 

日本ショパン協会東北支部第59回例会プロムナードコンサートに2台のピアノによる演奏にて出演。上郷・上浜 両小学校閉校記念ソングの編曲・伴奏を務める。県内芸能プロダクション所属のシンガーソングライターのCD作成時ピアノ演奏協力。ヤマハ ピアノ演奏・エレクトーン演奏・指導 の3種類の指導者向けグレードを取得。脳トレピアノ🄬 テクニカル1級取得後、エグゼクティブ認定取得。全日本音楽検定試験管。

趣味 /仕事、読書、ウォーキング、ヒーリングスポットへ行くこと。

好きな音楽ジャンル/クラシック、ポップス、ジャズ、ヒップホップ、ロックなど、幅広い。

習い事・部活など/ ピアノ、習字、そろばん、スポ少では剣道を少し。中学・高校では吹奏楽部に所属(フルート)。

 

 

 

 

よりご興味を持ってくださった方

 

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<自然豊かな町で三姉妹の次女として育つ>

海と山が見える町、秋田県にかほ市にて、自営業を営む両親の元、三姉妹の次女として育ちました。子供の頃は、男の子と一緒に秘密基地を作ったり、港の近くの古屋敷の中を探検したり、海岸のテトラポットを渡り歩く遊びが大好きな、おてんば娘でした。

両親は、子供が全てというくらい愛情たっぷりに育ててくれました。私たちに無農薬の野菜を食べさせたいとの理由から朝は4時で起きて畑へ。その後7時~21時までお店を営業する毎日で、休日は月1回あるかないか程度。年中無休のような生活でしたが、両親共に忙しい中私たち姉妹の行きたい所へ連れて行ってくれました。また、母が作ってくれたお弁当は畑で採れた新鮮野菜がたっぷりで、冷凍食品を一度も使ったことがありませんでした。

姉とは5歳、妹とは6歳違いで、歳が少し離れています。子供の頃はよく喧嘩をしましたが、今では女子会が始まると果てしないほど仲が良く、一緒にショッピングへ行ったり、困った時は相談し合ったり助け合ったりできる、かけがえのない存在です。

 

<音楽・ピアノとの出会い>

0歳の頃から両親がレコードやカセットで流してくれたたくさんの音楽を毎日耳にして過ごしていました。2歳頃にはテレビやオーディオから音楽が聴こえると近づいていき、一緒に歌っていたそうです。

ピアノとの出会いは、姉がピアノを習い始めたことがきっかけです。4歳の頃から姉の真似をして弾き始め、その後すぐ自分もレッスンに通わせてもらいました。自由にピアノを楽しめると思って始めたピアノレッスンですが、レッスンはイメージとは違い、4歳の私はレッスン時間前頃になると寝たふりをして抵抗したものでした。ピアノを弾くことは大好きだったのですが、子供の頃は宿題の曲を練習するよりも、好きな曲を何時間も弾いて過ごしました。低音が足りないと思う時は、家で左足の親指で音を足して弾いたりするくらい、子供の頃から音楽にはこだわりがありました。

中学、高校での部活は、吹奏楽部に所属(フルート)。益々音楽が好きになり、人と合わせる喜びや感動を知ります。中学校の合唱コンクールでは他のクラスのピアノ伴奏もお手伝いさせて頂いたり、高校の頃は合唱部の伴奏のヘルプにお声がかかりヴォーカルアンサンブルコンテストでは伴奏者として東北大会へ出演させて頂いたり、県内のピアノコンクールで入賞できたり、少しずつ自信をつけていきます。

高校の頃、音楽の方向へ進みたいと思った時、音楽の先生のご紹介で、秋田市内の先生のレッスンに通いました。レッスンが終わるのは開始から3時間後。長時間に渡る丁寧で感動的なレッスンで、テクニック的にも音楽的にも、改めて基礎からみっちりご指導頂き、かなり自由な弾き方も徹底して直して下さいました。あまり好きではない曲も、その先生から習うと不思議と好きになれました。

その後、短大の音楽科(ピアノ専攻)へ特別推薦にて入学しました。そこで、先輩方のピアノ演奏を聴き、感動で心を揺さぶられます。奏でる音楽も演奏する姿もとても綺麗で素敵な先輩方の進路にも憧れをもつようになりました。自分も一生音楽に携わって生きたい!と思うようになり、短大の2年間では足りず、親に頼み込んでもう2年間勉強できる専攻科(ピアノ専攻)の試験を受け、合格。更に深く音楽を学ばせて頂きました。ピアノの楽しさ、素晴らしさをたくさんの人に伝えたい!と思う気持ちはだんだん膨らんでいきました。そして仙台で行われたヤマハ(東北)のピアノ講師採用試験に無事合格!尊敬する先輩方の元で多くの事を学ばせて頂きながら、地元で仕事をすることができました。

 

<自宅で教室を開く>

楽しく充実したヤマハピアノ講師生活でしたが、出産後、帰りが午後9時や10時と遅いことで家族に寂しい思いをさせていることに気づきます。仕事帰りに幼い息子が

「おりこうさんにしてれば お母さんかえって来る?」

と泣きながらよく電話をかけてきました。「どこでもドア」で帰ってあげたい‥‥、子供が学生になっても「おかえり 」が言えるお母さんになりたい‥‥、と思うようになり、同じ仕事を自宅でやろう!と思ったことがきっかけとなり、今の教室を開きました。不安もいっぱいありましたが、生徒さんやご父兄の方々との素敵な出会いに恵まれ、皆さんのお陰で本当に充実した幸せな毎日を送っていました。

ところが、教室を開いて数年後、入院と手術を伴う病気を経験します。幸い命に別状はありませんでしたが、主人や当時3歳と7歳の幼い息子たちや可愛い生徒さんたちとお別れになるかもしれないという計り知れない不安と悲しみと恐怖を感じました。それからというもの、人の一生は長いとは限らないということを改めて強く感じ、価値観が大きく変わりました。一日一日を貴重に感じるようになり、「今日が人生最後でも悔いがないよう、大切に生きる」ということを心掛けて生きるようになりました。今日も一日生きられることが当たり前ではなく、「幸せ」であることを忘れずに、より一層音楽を勉強して皆さんに貢献できるよう、そして周りの人たちと共に音楽を楽しみながら、感謝の気持ちで日々の生活を送っていきたいと思っています。